2023年 10月 17日 第14週【 当事者の声(視覚・聴覚) 】
講師:芳賀優子氏(視覚に障害)
【お互い様コミュニケーションのツボ】
「私の障害は、目が見えにくいことではありません♪」
≫ ”障害”とは、社会の能力と、個人の能力の食い違い ≪
→ この食い違い(ギャップ)のために、「社会的不利」が生じる・・・。
障害は目が見えにくいことではなく、社会で必要とされる視機能と、当事者の視機能と
の食い違いであって、私と、あなたと、社会みんなの障害に対する態度と関心の度合いに
よって、障害は重くも軽くもなり、また、なくなることもある、と氏は語る。
※視覚障害:blind(全盲)、low vision(弱視)と「見えない」にも段階がある。
※個人が社会に合わせるのではなく、社会も合わせる努力、双方の歩み寄りこそが重要。
目から鱗、自身の”視座の転換”の必要性を強く感じる講義であった。
見えづらい個人が問題なのではなく、視覚以外の伝達方法の術(インフラ等)を整えていない社会が未熟だともいえよう。『障害者差別解消法』が改正され、これから一層求められる合理的配慮の提供が周知徹底され、もはや配慮の言葉すら必要なくなる社会に向けて、その実現に一歩でも近づけるよう、個人と社会とのギャップを少しでも埋めていけるよう、行動を起こしていきたいと強く感じた…。
そのためにも…
"視覚障害者"という括りで捉えるのではなく、あくまでも個人差があり、その人に応じた
必要としていることにフォーカスを当てることが大事、とのこと。
「障害者=支援される人」「健常者=支援する人」というステレオタイプに陥ることなく、困っていること、必要なことはなにか、「お互いに助け合う・お互いさま」に立ち返る姿勢こそが、障害者へのスティグマを払拭し、対等な人と人とが関わるコミュニケーションの基本といえよう。
※白杖携帯の義務は、『道路交通法』第14条1項に定められている。
「目が見えない者(目が見えない者に準ずる者を含む。以下同じ。)は、道路を通行するときは、政令で定める
つえを携え、又は政令で定める盲導犬を連れていなければならない」
また、同条第5項には
「高齢の歩行者、身体の障害のある歩行者その他の歩行者でその通行に支障のあるものが道路を横断し、又は横
断しようとしている場合において、当該歩行者から申出があつたときその他必要があると認められるときは、警
察官等その他その場所に居合わせた者は、誘導、合図その他適当な措置をとることにより、当該歩行者が安全に
道路を横断することができるように努めなければならない」(努力義務)
講師:松森果林氏(聴覚に障害)
【聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ】
「視点を変える、視点を増やすことの大切さ」
≫見える、聞こえる、歩ける… 障害がないことを前提とした社会がバリアを作っている≪
→ 世の中のバリアは、人ではなく社会や環境にある。場所や環境、社会のありようによ
って”聞こえない”という特性は「強み」にもなるし「障害」にもなる。
→「バリア」とは何か? ”視座の転換”の大切さ
【医学モデル】原因を本人の側から考える。本人の身体の方を社会に適合させる。
【社会モデル】原因を社会の側から考える。社会の方を本人の身体に適合させる。
※この社会モデルこそ、ユニバーサルデザインの根本思想であろう。
※聴覚障害:ろう、難聴、中途失聴、人工内耳装用と多様であり、補聴器、筆談、手話等
多くのコミュニケーション手段を用いている。
「【手話は言語】である」
ろう者によって用いられる手の形・動き・位置などによって意味を伝える言語。
非手指動作と呼ばれる顔の表情やあごの動きなどが文法的機能を持つ。2006年、国連で採択された『障害者権利条約』で「手話は言語である」と規定され、日本でも2011年に改正された『障害者基本法』で「言語(手話を含む)」と明記される。
※聴覚障害者の立場に立つと、健常者こそ、手話が通じない・手話ができない人となる。ボディランゲージを交え、ノンバーバルコミュニケーションが豊かな海外の人々の方がバリアを感じないと講師は語る。
・「対話とは、他者との異なった価値観を摺り合わせること。その摺り合わせの過程で、自
分の当初の価値観が変わっていくことを潔しとすること、あるいはさらにその変化を喜び
にさえ感じることが対話の基本的な態度である」(平田オリザ『対話のレッスン』より)
・「私たちが学ぶための唯一の方法は出会うことである」
(マルティン・ブーバー※代表作『我と汝』で有名な哲学者)
【講義・グループワークを通じての振返り】
・手話にも人柄が出る…。 考えもしませんでした。
・読話・読唇の体験では、口唇の母音(い・う)の動きしか読み取れず、例えば「みず」「いす」「ちず」「ビール」の違いが判らない。そこにボディーランゲージ等を加えること
で情報量が増え、コミュニケーションが図りやすくなる。
・「障害者=できない人、助ける存在」という固定観念や思い込みは、障害者の困難な側面
にのみフォーカスしたもの。至極当然ながら、障害を各人の個性・特性、自分とは違った
他者と捉え、対等な関係で出会い対話をすることの大切さ、気付きを得ることができた。
※障害を持つことで支援を受ける側の存在となる、その一面をもって、社会・世間に遠慮して、陰に隠れるようにひっそりと暮らす…。日本で暮らす一般的な障害者のイメージが私にはあった。現在もまだ、そうなのかもしれない…。障害は個性だと、頭で理解しようとしても、心身・血肉に落とし込めていない、色眼鏡を外し切れていない自分がいる…。欧米の人たちは、障害者?だから何?個人として君は何がしたい?と、対等な関係を築きやすいとの話が講義の中であった。なるほど…と、ふと、20代の頃(1993年)、一人旅したドイツで体験した障害者とのエピソードを思い出す。ドイツには徴兵制があり、紛争で片脚を失った軍属の方と、私は出会った。杖を器用に使いながら、堂々と街を歩き、電車に乗る。社会に適応できない自分が悪いのではなく、障害に対応できていない社会(インフラ作り)の方が悪いのだと言わんばかりに、自己肯定・自己主張する彼に圧倒されたものだった。また、教会の前に座り込んでいるホームレスが、貧しいのは自分が悪いからではない、社会の方こそが自分に救いの手を差し伸べるべきと、胸を張って自分の存在をアピールする姿にも、生きるたくましさを感じたものだった…。 自分はここに居て良いのだ!!まさに”生存権”の主張がそこにあった…。当時の私にはなかった、自己肯定感に裏打ちされた人生観・思考に触れる、貴重な体験であった…。対等な人と人との出会い・対話を心掛けることから、さぁ、始めてみよう…。
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